機械系大学生Guishinの日記

奨学金で生計立ててる地方国立の工学部4年生なりに考えたことなどを週1か2ぐらいで書いてます。

環境が個性をつくるのか個性が環境を選ぶのか

学科内では1,2年の間にコース分けなどで出来た同じぐらいの人数の2つの友人のグループがあり、それぞれにLINEのグループがある。

4年になってどちらのグループでも全員大学院に進学するということで、推薦入試を受けられる人と一般入試を受ける人がいるのだけれど、推薦組が二人しかいないグループと一般組が二人しかいないグループがあって、こうも集団で別れたかと思うと面白い。

 

よく言われることだが

たまたま集まった人間の集団によって個々人の性格ないし成績が規定されるのか、個々人の性格ないし成績が同じ人間が集団をつくるのか

という問題がある。

 

その要因として成績については大学だと特に過去問といった情報がモノを言うということが大きく1つある。

あとは、理科系科目だと過去問があってもそれを解くことができないとどうにもならないということがあって、一緒に勉強する人で進み具合が違うということ。

さらに成績が高いグループではテストの目標点が高いため、自分の目標点も高めに設定するということがあるのだろう。

 

とはいえグループ内で個人の成績に対して別に指導しあうこともないので、最終的にはその個人が周囲を見て実際にどう行動するか次第ということになる。

そういう訳で成績に関しては、少なくとも情報を持っている人と知り合いになることはプラスではあるのだけれど、周囲に同調できる人ならそういった集団に所属することがプラスとなるが、そうでもなければ別なグループに所属したとしても自身の力でどうとでもなるんじゃないだろうか。

 

あとこの問題で集団としての性格と個々人の性格についてだけれど、これはある集団の中から見たときと外から見たときとで大きく印象が変わることが面白い。

成績の話に戻るが、外から見たときにあの集団はみんな成績が良いとか悪いとかっていう印象をよく持つが、実際に自分の集団を見るとある程度のばらつきがあって、複数の集団を合算したときには成績が悪い人から良い人までリニアにつながっている。

それが個々人の性格や行動にも言えて、確かにある特性を持った集団にいれば同じような行動を繰り返すことでその性格が強化されていくことになるだろうが、ニュートラルな状態ではそれほどの差はなくてただただ集団の一部の顕著な特性を持つ人物を見てそのように印象付けられるだけなのだろう。

まあ日本人というのは概ね周囲と同調することが得意と言われているので、集団から個々人の特性を判断し易いということがあるかもしれない。

 

つまり何が言いたいかというと人を集団で判断しても仕方なくて、人を見るには一対一でないと見えてこないということだ。

そして人をぼんやりとした印象だけで選り好みせずにいろんな人と繋がりをもっていることが大学生活において有利に働くことが多いにある。

まあ人付き合いを広めるにはそれなりにお金がかかるのも事実ではあるが。

つまるところ、コミュニケーション能力というものはどれだけの時間とお金と労力を人との出会いや会話につぎ込めるかという価値観の問題なのだろう。