機械系大学生Guishinの日記

奨学金で生計立ててる地方国立の工学部4年生なりに考えたことなどを週1か2ぐらいで書いてます。

塾は格差を拡大しているのか

塾は格差を拡大するから無くすべきだという人がいる。

確かに塾に通っている子供は裕福な家庭の子供が多く、塾に通った子供は後に高い所得を得ることが多いというのは感覚として分かるし、実際家庭の所得と子供の通塾率には比例関係があって、家庭の所得はさらに子供の所得にも比例関係があるといった統計もある。

 

しかしながらだからと言って塾が悪いのかというと、それは事実を誤認していると言うしかない。

そもそも親が子供により良い生活を送ることを望むのは自然なことだ。

そして、学力が将来の所得に大きな影響与えうるこの社会において、子供を塾に通わせることもまた自然なことだ。

さらに言えば、人間が自らの知識や技能を向上させようとするために塾に通ったり、スポーツクラブに通うことも自然なことで、そこに善悪というものを評価することは出来ない。

 

このような発言をする人が抱えている問題の根っこの所は塾が悪いのかというようなところには無く、より広い視点で考える必要があるだろう。

 

このような考えの出発点となっていることの1つに塾に通っている子供とそうで無い子供との間の学力差が大きいというものが考えられる。

 現実問題として学校教育だけで難関校に合格することが難しく、そのため難関校合格のために塾に通わせて勉強せざるを得ないという状況がある。

だからと言って、学校教育だけで難関校に合格できるようにするべきかというと国際競争の時代において学力のレベルを下げることは出来ないだろう。

それではもっと学校教育のレベルを上げて、学校教育だけで難関校に合格できるようにするべきかというとこれもまた難しい。

そもそも学校というものは学問の追求を第一の目標にしていなく、学校は教育を施すところであって学問を修めるところではないからだ。

また現実的な問題として教師が一様で高レベルな教育を行うことは難しく、さらに言うと大学全入時代で6割の人が大学まで進学すると言っても授業料に見合った就職ができる大学に進学できる人は4割が良いところだ。この状況にあって教育者はどうしても少数のアカデミックな生徒を教育することよりも、多くの非アカデミックな生徒を教育する方に力を入れざるを得ない現状がある。

それではやはり、親よりも高い所得を得るためには、所得の高い親の子供として生まれるしかないという不毛な現実を受け入れるしかないのかと言うと現実はそこまで悲惨ではない。

 

確かに親の所得が子供の将来の所得を決定する傾向は認めざるを得ない。

しかしながら、親の所得が高ければ高いほど子供の将来の所得が高くなるのかというと、それは飽くまで相関関係があるだけで、親の所得が子供の所得を直接決定するという訳ではない。

親の子供の教育に対する投資の費用対効果には限界があって、金で子供の学力は買えないのだ。

 

そしてもう1つ忘れてはいけないのは、塾に行かなくとも難関校に合格することは不可能でないということだ。

入学試験は基本的に教科書に準拠することが求められており、教科書さえしっかり勉強すれば理屈の上ではどんなところでも合格することができるようになっている。

この原則の上に、情報社会によって高額な料金を払わなくても質の高い教育を受けられる環境ができつつある。

これによりそもそも教育投資における費用と得られる効果には限度があり、その費用そのものがIT技術によって下げられている。

 

この現状を考えるに、教育格差の問題は時間が解決してくれると言えるわけだが、それでは今の世代には我慢を強いるのかと言うとそれは酷な話で、教育格差を小さくする努力を惜しむべきではないのは言うまでもない。

 

ひとまずは、今ある無料の教育情報を集約し広く周知を行うこと。

そして有権者として教育に対する予算の増額を求めること。

これはあまり手間もお金もかからない今すぐに可能なことで、塾を無くせと言うぐらいならこのような方向性で教育について発信していくことが生産的ではないだろうか。

 

とはいえ教育格差の問題には、金銭的な問題以外にも教育に対する意識差という大きな問題もあるが、これについてはそのうち書こうと思う。