今週のお題「部活動」
なにやらブログのお題に困ったら今週のお題なるものを毎週木曜に提供してくれるようで、まだまだブログも始めたばかりで書こうと思うことはあるけれど、とりあえず一題お借りしてみよう。
今週のお題は「部活動」ということだが、自分は同級生が汗水垂らして青春を謳歌していた中高時代に帰宅部をしていたので爽やかな青春の1ページを綴ることは出来ない。そのためここでは中高の部活動についての考えを書こうと思う。
中高時代という体を鍛えるにはうってつけの時期を全く運動をせずに過ごしたのは身体的健康を考えるとあまりよろしくないのかもしれないが、中高時代の週6,7日もの時間を何かしらのスポーツをするだけに費やすというのは飽き性の自分には全くもって性に合わなかった。
むざむざと同級生と力を合わせて友情を深める機会を捨ててしまったのだが、中高というのは行事なりなんなりで否が応でも交友関係はつくれるもので、部活をしてないがための悔いは無いと言って良い。
それよりも部活をしなかったために得られたものは多く
1つ目に、それほど勉強ばかりをしなくとも進学校と呼ばれるような高校に入ることができ、国立大学にも難なく入ることができたこと。
そもそも学校での教育の柱は学問にあるにもかかわらず、
平日は毎日8時半から15時半まで授業を受けて、それから18時まで部活をして家での自由時間は5時間程度しかない。
この5時間で部活の疲れを癒し、友達と会話するためのテレビ番組を見たりしていたら2時間なり3時間なり勉強なんて出来るはずもなく、土日は部活の練習試合で1日潰れるなんてこともしばしば。
こんなにも部活が生活の多くを占めてしいる中でしっかり勉強をする学生がどれほどいるのだろうか?
実際にはこのように勉強と部活を両立させ、自分の力でそれなりの高校に入学するのは限られた優秀な生徒で、部活に大きな比重を置いてきた生徒の進路はあまり良く無い。
そのため進学校と呼ばれる高校に入学する生徒の多くは部活終わりや週末に塾に通っていた子達で、母校の高校ではその半数がとある塾の生徒が占め、残りの半分もそのほとんどがその他の塾に通っていた生徒ばかりだった。
必然的にそのような高校は裕福な家庭の子供が多く、このころから肌感覚として格差というものを感じるようになった。
勉強を疎かにしてまで部活をすることがどれほど生徒の幸せに繋がるのだろう。
2つ目は、部活動という狭いコミュニティ内でのいじめや対立、顧問による体罰などから距離を置いて生活できたということ。
中学時代というのは、まだまだ小学生の心が大人になろうとする体に追いつくことが出来ず精神的に不安定になりやすい時期で、そういった不安定さがいじめが発生する要因であり、いじめをなくすことの難しさはこういった人間としての成長過程にあると思う。
そこに多忙を極め思い通りにならない生徒へのストレスが溜まりまくった中学教師による体罰や暴言がこの状況を悪化させているのは言うまでもない。
実際自分の母校では全ての部活で1人ないし特定のグループがいじめにあっていたし、いくつかの部活では顧問による恐怖政治に怯えて活動をしていた。
先輩が後輩をいびり、いびられた後輩がまたその下の後輩をいびる。こんなどうしようもない悪循環が多くの部活動で生じていた。
そもそも部活動は生徒が活動を通して社会性や責任感といったものを獲得するためにあるにもかかわらず、このような状況でいかにして健全な精神が育つのだろうか。
年齢でのみ規定される序列に従う部活に順応することがほんとうにその後の社会で必要とされる社会性と呼べるのだろうか。
今の部活動を通した教育は本当にちゃんと機能しているか、脚色された子供時代の思い出に耽ることなく冷静に考えなおす必要がある。