機械系大学生Guishinの日記

奨学金で生計立ててる地方国立の工学部4年生なりに考えたことなどを週1か2ぐらいで書いてます。

その数字に意味はあるか

研究をしていると、その数字はいったいどういう数字なのかという問題がたびたび浮上する。

なにかしらの実験データを示すグラフを出したとき、それは何を表しているのか、どんな実験で出したのか、生データなのか計算値なのか、測定装置は何でどういう原理なのかなどグラフ1つをとってもいくらでも疑問が湧き出てくる。

他には実験装置の部品を図面を書いて発注するときには、どうしてその大きさなのか、なぜここを基準にして寸法を入れたのか、その寸法はぴったしの寸法じゃないといけないのかそうでないのかというような疑問が湧き出てくる。

 

普段の生活ではそれほど数字を意識しないが、金額や長さ、気温などは毎日目にする数字だろう。

金額はお金を1つ1つ数えればいくらかわかるし、100円のものは100円で買える。

長さはすこし厄介でもの同士を付き合わせてもどっちが長いかぐらいしか分からない。ちゃんと長さがいくらか知りたかったら物差しを使う必要があるが、物差しさえあれば日常で困ることはないだろう。

この2つから言えることは数字には目で見て勘定できるものと、道具を使わないと勘定できないものがあるということだ。

そして気温も暑いか寒いかぐらいは感覚的に分かるが、長さと同じようにそれが何度かは温度計がないと分からない。温度は温度計の目盛りを見れば分かるが、それは温度と液体の膨張が対応しており、液体の膨張に対応した目盛りがあるから温度を測ることが出来るのであって、直接温度というものを測っているわけではないのだ。

このことから分かるのは、数字には道具で直接測れるものと、2つ以上の対応関係の何かしらを道具で測ることで間接的に測れるものがあるということだ。

工学の分野などで使う数字というのはその多くが後者の直接測れない数字なので、色々な測定装置を組み合わせたりして欲しい数字を集める必要がある。

 

つまるところ、何かしらの研究でデータを集めるには測定装置なりの自分以外の誰かの力を借りないといけないということで、そのため数字を見たときにその数字はどうやって出てきたのかよく考える必要があるのだ。

こういうことは社会とか経済の分野でも言えることで、貧困率だとか食料自給率というような数字は自分一人で調べることが出来ないので、やはり何かしらの団体や機関に集めてもらうしかない。そのためその数字は誰がどのように出した数字なのかちゃんと考える必要がある。

 

このような統計といった数字は数学や物理の法則によって決まっているようなものではないので、その数字を評価するには手続きの方法を精査すること、信頼のおける機関が出したものかということが大切になってくる。

このデータは信頼性の高い機関から出されたデータだから確からしいという考え方をするのだ。

この信頼性という考え方は工学の分野でもよく使う考え方で、特に応用的な研究で出てくるデータ全てを突き詰めて考えたり、すでに他の人が調べたことをまた自分で調べていたら研究が全然進まなくなってしまうため、ある程度のところで信頼性によって保証する必要がある。

 

つまり数字をただ並べてもあまり意味はなくて、その数字はどうやって出てきたのか、その数字にはどれほどの信頼性があるのかといったこともセットにして初めて意味のある数字になるということを肝に命じておくことが大切で、

最近ベンチャー企業に就職した友人がサラリーマンの方がハイリスクローリターンで起業こそローリスクハイリターンというような主張を繰り広げていて、それの元となっている記事を紹介していたので覗いてみたら、具体的なリスクを評価する数字がなく、東芝を引き合いに雇われることのリスクを解くばかり、以前企業の存続率なる数字が非常に低いというのを聞いたことがあった私はやっぱり起業の言うことは信頼ならんな思ったのだが、

企業の存続率という数字がどんなものだったか確認してみようと調べてみたところどうろ出所がはっきりせず、見つけられたのは1年間に日本全体の新規事業所数と廃業した事業所数ぐらいで企業の存続率なる数字は見つけられず、これまで述べてきたことを再確認させられてしまったのだ。

 よくよく考えれば企業の存続年数を調べるには企業1つ1つを個別に調査する必要があるので、全国規模で行うには非常に辛いものになるだろうから当然と言えば当然なのだが、どうしても数字があると思うとプロセスの困難さを忘れてしまうのだ。

 

つまるところ、物事を比較するときには個人の感想ばかりでは意味のある議論にはならず、数字を使って比べることが重要であることはもちろん、その数字が個人の思い込みではないか、どのようなプロセスを経て出てきた数字なのか考え、データの持つ信頼性についても加味して議論を行うことが、思考に意味や価値を与えてくれるということを忘れてはいけない。