工学部で勉強すること
まだ投稿はしてないが何本か書き溜めてから気がついたのだが、ブログのタイトルを機械系大学の日記とするからには工学部機械工学科が何を勉強するところなのかぐらい書くべきだろう。
機械工学科が何を勉強するところかを一言で表すとしたらそれは「四力を勉強するところ」となるだろう。
この四力というのは熱力学、流体力学、材料力学、機械力学の4つの力学のことで、機械を設計するのに必要不可欠なものである。
車のエンジンを例に非常にざっくり説明すると、
ガソリンを爆発させてエンジンを回すサイクルを考えるのが熱力学、
ガソリンをタンクからエンジンに送るパイプを考えるのが流体力学、
エンジンを形作るケースがどれほどの強度があるかを考えるのが材料力学、
エンジンが回る時に発生する振動で車全体ががたがた揺れないかを考えるのが機械力学、
と言うことができる。
基本的にはこれらの力学についての授業が2〜4つあり、これらを2,3年で受けることとなる。
1年では歴史学や心理学といった人文社会科目に英語や中国語といった外国語科目、物理や化学といった基礎的な理系科目とプログラミングなどの情報科目、さらに微分積分についての解析学と行列についての線形数学といった数学を学ぶことになる。
2,3年では四力の他に四力についての実験や機械加工についての講義や実習の他に図面の書き方や物理シミュレータについて学ぶこととなる。
4年では研究室に配属され、大学院の先輩や教授に指導してもらいながら、卒論に向けて定期的な各分野について勉強するゼミや研究の進捗などを報告する定例会をこなしていくこととなる。
このようにつらつらと学部四年間で勉強することを書いてきたが、このようにカリキュラムで基礎学力を身につけることも大切ではあるものの、工学部で学ぶことで重要なのは物事を数字を使って理解し表現する能力ということだと思う。
それは、何かしらの実験なりをするのに漠然とこうなるだろうというイメージを持つのは大切だが、それでもある程度、これぐらいの桁の数値になるだろうぐらいのイメージでないといけないし、
実験を報告する時は、こんな感じになったからこうだと思うではなく、このような式で予測して結果こういった数値が出たのでこうだと思うといった表現をしないといけないんだという意識を持つこと。
そしてそういった意識を社会一般にたいする視線にも適用していくことが工学部ひいては理系の大学生に求められることではないか。
今週のお題「部活動」
なにやらブログのお題に困ったら今週のお題なるものを毎週木曜に提供してくれるようで、まだまだブログも始めたばかりで書こうと思うことはあるけれど、とりあえず一題お借りしてみよう。
今週のお題は「部活動」ということだが、自分は同級生が汗水垂らして青春を謳歌していた中高時代に帰宅部をしていたので爽やかな青春の1ページを綴ることは出来ない。そのためここでは中高の部活動についての考えを書こうと思う。
中高時代という体を鍛えるにはうってつけの時期を全く運動をせずに過ごしたのは身体的健康を考えるとあまりよろしくないのかもしれないが、中高時代の週6,7日もの時間を何かしらのスポーツをするだけに費やすというのは飽き性の自分には全くもって性に合わなかった。
むざむざと同級生と力を合わせて友情を深める機会を捨ててしまったのだが、中高というのは行事なりなんなりで否が応でも交友関係はつくれるもので、部活をしてないがための悔いは無いと言って良い。
それよりも部活をしなかったために得られたものは多く
1つ目に、それほど勉強ばかりをしなくとも進学校と呼ばれるような高校に入ることができ、国立大学にも難なく入ることができたこと。
そもそも学校での教育の柱は学問にあるにもかかわらず、
平日は毎日8時半から15時半まで授業を受けて、それから18時まで部活をして家での自由時間は5時間程度しかない。
この5時間で部活の疲れを癒し、友達と会話するためのテレビ番組を見たりしていたら2時間なり3時間なり勉強なんて出来るはずもなく、土日は部活の練習試合で1日潰れるなんてこともしばしば。
こんなにも部活が生活の多くを占めてしいる中でしっかり勉強をする学生がどれほどいるのだろうか?
実際にはこのように勉強と部活を両立させ、自分の力でそれなりの高校に入学するのは限られた優秀な生徒で、部活に大きな比重を置いてきた生徒の進路はあまり良く無い。
そのため進学校と呼ばれる高校に入学する生徒の多くは部活終わりや週末に塾に通っていた子達で、母校の高校ではその半数がとある塾の生徒が占め、残りの半分もそのほとんどがその他の塾に通っていた生徒ばかりだった。
必然的にそのような高校は裕福な家庭の子供が多く、このころから肌感覚として格差というものを感じるようになった。
勉強を疎かにしてまで部活をすることがどれほど生徒の幸せに繋がるのだろう。
2つ目は、部活動という狭いコミュニティ内でのいじめや対立、顧問による体罰などから距離を置いて生活できたということ。
中学時代というのは、まだまだ小学生の心が大人になろうとする体に追いつくことが出来ず精神的に不安定になりやすい時期で、そういった不安定さがいじめが発生する要因であり、いじめをなくすことの難しさはこういった人間としての成長過程にあると思う。
そこに多忙を極め思い通りにならない生徒へのストレスが溜まりまくった中学教師による体罰や暴言がこの状況を悪化させているのは言うまでもない。
実際自分の母校では全ての部活で1人ないし特定のグループがいじめにあっていたし、いくつかの部活では顧問による恐怖政治に怯えて活動をしていた。
先輩が後輩をいびり、いびられた後輩がまたその下の後輩をいびる。こんなどうしようもない悪循環が多くの部活動で生じていた。
そもそも部活動は生徒が活動を通して社会性や責任感といったものを獲得するためにあるにもかかわらず、このような状況でいかにして健全な精神が育つのだろうか。
年齢でのみ規定される序列に従う部活に順応することがほんとうにその後の社会で必要とされる社会性と呼べるのだろうか。
今の部活動を通した教育は本当にちゃんと機能しているか、脚色された子供時代の思い出に耽ることなく冷静に考えなおす必要がある。